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死刑の是非について

前回の投稿は自分でも、かたく書きすぎたな〜と思いました。予想通り、授業の中で先生から「文章がかたすぎる」という指摘があったので、できるだけ口語体で書きます。(それでもあまり変わらないかもしれませんが)

さて、今回のテーマは死刑存廃問題です。自分はつい最近までは完全に死刑存置派でした。
人を殺した犯人は、死をもって償うべきだ!という意識があったし、死刑には犯罪抑止力があると信じていました。

でも、最近、犯行理由がまるで理解できない殺人事件が増えているという気がしませんか?(もっとも、理由うんぬんではなく殺人を犯すこと自体が理解できませんが)

「自殺しても死に切れない、大量殺人をして死刑になりたい」「人を殺せば死刑になれる」・・・。
死刑があるから、殺人を犯すということなのでしょうか。犯罪抑止力が弱まっているとしか思えません。

だからといって死刑を廃止すればいいかといえば決してそうではないでしょう。
被害者の遺族が、殺人を犯した犯人に極刑を望むケースは多いし、宗教的な考えもあると思います。

死刑存置・死刑廃止のどちらにもメリット・デメリットがあります。だから、自分としてはこの問題に早急に結論を出す必要はないと思います。とはいえ、今後ある程度結論を導いていく段階になることは予想されます。そのためには過去の判例や、これからの動向をしっかりと見つめる必要があるでしょうね。

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コメント

ラスト5行にredtale氏がまた喰いつくに30000ペソ

人を殺すような状況で「あぁ、この人を殺したら俺死刑になっちゃうなぁ・・・」な
んて考えますかね? もともと死刑の犯罪抑止力なんていわれてるほどのものではな
いのでは? 私は、それでも殺人という最大の罪を犯すような危険分子を社会から完
全に取り除く、社会の自浄作用として死刑という手段は必要だと思います。終身刑で
もいいですけどね。日本にはないですし。コストもかかりますし。

先手を打たれた(^^;)

じゃ,bluemoon34さんに噛みつくか(^^;)

> 殺人という最大の罪を犯すような危険分子を社会から完全に取り除く、社会の自浄作用として死刑という手段は必要

この「排除」あるいは「自浄作用」がひっかかるな。
この「異物除去」の思想が,とくに東洋的な共同体に置いて,死刑が存置される大きな要因だといわれます。
つまり,共同体の「和」を乱す「異物」。
無理に共存をしていく必要はないわけですが,それでも「異物」(気にくわないもの/理解不能のもの)を,理解しようと努力せずに,排除していくことが,共同体として正常だと思いますか?

異常・・・だと素直には認めたくはないなぁ^^;
もちろん完全な判断は人間には出来ないわけですが、仮にほぼ間違いなく社会に適合し得ないと判断され場合には、死刑や終身形、あるいはアメリカみたいに懲役100年とか以外に自分たちの安全を確保する術が思いつきません。

>理解しようと努力せずに,排除していくことが,共同体として正常だと思いますか?

殺人を理解しようとは思いませんがね・・・殺人に至るまでの過程・理由についてはもちろん十二分に理解に努めるべきだとは思いますよ^^ その理解が難しいわけですが、隔離手段は放棄すべきではないかと・・・私って異常?正常?

いや。別に理解をしようと多くの人が懸命に努力した上での判断であれば,「排除・隔離」は正当化されうると思いますが。

意識化されないもの、されえないもの

「「自殺しても死に切れない、大量殺人をして死刑になりたい」「人を殺せば死刑になれる」・・・。
死刑があるから、殺人を犯すということなのでしょうか。犯罪抑止力が弱まっているとしか思えません。」
には、直観としては私も近いものがあります。よく調べてみないと断定はできませんが。もしも「命の重さ」を感じにくい社会になりつつあると仮定すると、この仮定の下ではhayatoさんの議論は説得力を持つでしょう。

「共同体として正常」とは面白い表現だと思いました。正常/異常は、共同体のなかで共同体と相対的に判断されるものと思っていたので、そのような表現が成り立つとは思っていなかったからです。
ひょっとして、共同体たちを包み込む共同体の共同体が想定されているのか、あるいは超越的な基準が想定されているのか。

私の観点では、共同体とは、理解しようとしない不可触の前提を、例えばタブーとし、あるいは宗教的権威として措定して、その上で成立する言語ゲームである。とすると、根本的な排除については、何ら正当化なしに排除されるしかないということになりそうです。

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